近江庭園のお庭トーク | お庭のプロが厳選するお庭づくり・盆栽づくりのための季節の花だより

日本を代表する芸術家・岡本太郎を哲学する

作成者: GardenPorter|2016年1月2日

先日、大阪府吹田市にある万博記念公園に行ってまいりました。

40年前に大阪万博が開催されたこの地は、廃れるばかりかつい最近EXPOCITYという大型複合施設がオープンし、様々なイベントも開かれまた新たな盛り上がりを見せています。

園内には今もなお、岡本太郎を代表する作品の1つ「太陽の塔」が凛としてそびえ立っています。

今回私が行った時期が丁度クリスマスシーズンでしたので、「イルミナイト万博-Xmas-」というイベントがやっていて、夜になるとプロジェクションマッピングが映し出されていました。

その模様を少し、解説を踏まえながらお伝えします。

いきなりギョロっとした目玉が現れ、カウントダウンを始めます。

てっきりツリーとかリースとか、クリスマスらしいただただキレイな映像だと思っていたので度肝を抜かれました。

そしてカウントが終わるとぐにゃぐにゃした只ならぬ力が中央に集約し、に変化します。

この鍵は「施設の鍵」という岡本太郎の作品で、実際に園内の施設に展示されています。

そして生物の源である海が現れ、生命の系譜を象徴する赤と青のDNAのようなものが出現し扉として立ちふさがります。

先ほどの鍵で開け放たれると、太陽の塔が岡本太郎の愛した縄文土器の様に変化し、崩れ、そこから様々な文明が生まれていきます。

中南米の古代文明にありそうなスカルが崩れると、目がギョロギョロした岡本太郎の作品たちが動き出します。

代表作の1つ「明日の神話」に描かれる骸骨も現れ、姿を消すと美しい惑星たちが映し出されます。

中盤は飛ばしますが、最後は太郎の名言「芸術は爆発だ!」の叫びとともにド迫力の映像の波が花火の音と共に映し出され、終幕となります。

さんざん解説しといてなんですが、動画サイトに映像が上がっているのでもしよければ見てみてください。


【公式動画】イルミナイト万博-Xmas-2015プロジェクションマッピング The Illuminight Christmas 2015【BeamPainting 鍵‐Key‐】

このイベントは2011年から毎年映像の内容を変えて続けているようで、私はとても気に入ってしまい、今までの映像も動画サイトを漁って全て見てみました。

すると今までのは子供向け要素やクリスマス要素が入っていたりしていて、全体的に綺麗で万人受けしそうな作品となっていました。

その中で、今回のはすごい。太郎色がかなり出ている作品です。

だって怪しげな音楽と共にいきなりギョロっとした眼球から始まるんです。

クリスマス気分ルンルンでデートしにきたカップルにはえっ?って感じですよね。(笑)

でも私としては最高の映像美を楽しめました。

岡本太郎は自身で「自分の中に毒をもて」と言っているように、その作品には相手にトラウマを植えつける勢いの「負」の一面があると私は思います。

ただキレイなだけじゃ終わらせない、そんな気概がこの映像には感じられました。

そして、太郎が晩年とりつかれた様に描いていた眼を最初にもってきたり、縄文土器の意匠や踊る作品たち、太郎の名言を流すなど、それ以上に太郎への愛を感じました。

正直、ちょっと泣きました。お前、何様なんだよ!って感じですよね。(笑)

ここまで岡本太郎のことを書いてきましたが、正直そこまで詳しくありません。

特に彼の本や記事も読んだことがありませんし、今回も日本庭園にブログのネタ集め目的で行っただけで、本当にたまたまなのです。

思えば私の行く先々に、導かれるように太郎はいたように思えます。

青山の根津美術館に行ったときも、たまたま近くに岡本太郎記念館があるのを知り立ち寄ってみたり、どこかで見たか聞いたかした彼の言葉が頭に残っていて旅先で考えてみたり・・・。

そういえば3年前エジプトを旅していたとき、こんな文を書いていたのでお恥ずかしいですが載せますね。

【「怒り」との付き合い方】

僕はなるべく、怒りを直接表に出さないようにしてる。

けれども海外、特に途上国を旅しているとそういう訳にはいかない。怒りを表さなくちゃいけない場面がやってくる。

でもやっぱ後になって後悔する。他に解決策はなかったのかなって。

昨夜は宿のみんなでキャンプファイヤーをした。暖かい炎を見つめていて思う。

怒りってのはよく炎に例えられるけどもっともだなって。

直接触れれば怪我をする。自他ともに不幸にする。

けれどもある「間」を保っていれば暖かくて気持ちいい。進む道を照らす灯りにもなる。

人の感情から怒りなんて無くなればいいと思ったこともあったけどそれは違う。怒りがあるからこそ、そこから学んで優しくなれる。

直接表に出さず、自分の中に暖かく灯していることで怒りは素晴らしいものになり、心も環境も豊かにしてくれる。

けど誰にだって限界はある。溜め込みすぎたら破滅してしまうかもしれない。そのときは思いっきり発散すればいい。暴力的手段じゃなく芸術的手段で。

ちょうど日本の綺麗な打ち上げ花火みたいに。

岡本太郎の言葉に「芸術は爆発だ」ってのがあるけど、爆発とは暴力的な表現だ。

言い換えれば「芸術は暴力だ」

この言葉には、芸術には暴力に匹敵する程の強い力がこめられてると僕は勝手に解釈してる。

今度タクシーにぼられた時は思いっきりギターをかき鳴らしてみようと思う。きっと、こいつ大丈夫か?って思われるだろうし、金は返ってこないだろう。

でも僕の心は晴れ晴れするし、謎の優越感に浸ってにやにやできるはず。そしてふと通りがかったエジプシャンガールに声をかけられるかもしれない。

岡本太郎の作品には「負」の一面があると先ほどいいましたが、それは日本の伝統美にも同じことが言えます。

山水画や枯山水、能楽も余白という名の「負」を背負っています。

うつろいゆく季節に、枯れに美を感じる感性をもつ日本人は「負」を「正」に、「正」を「負」として見ることができる。

表と裏、光と影、諸行無常の遊びかたを知っています。

そういった意味でも岡本太郎は日本を代表する芸術家であり、これからも私たちの心の起爆剤として居続けてくれることでしょう。

記事・・・飛田亮