先日、奈良県の某所にてとある竹垣の研修会が開かれました。
2日間に渡って開催された研修会はなにもかもが刺激的で、竹垣の施工技術と知識はもとより講師の先生方の人柄や熱意になにより深く感銘を受けました。
すごい。楽しい。美しい。かっこいい。を何度も何度も反芻し続けた2日間。
私の庭師ライフにとってかけがえのないものとなりました。
今回はそんな素晴らしい体験の中で思ったこと、気づいたことを記事にして皆さんになにか伝えられたらいいなと思っております。
まず、竹垣の概要について軽く紹介していこうと思います。
垣根とは、空間と空間を隔てるもの。物理的に見れば境界ともいいますし、精神的な意味合いが含まれれば結界にもなります。
日本において空間のとらえ方が他国と比べ少し変わっていることは、以前の記事で書いた通りなので目を通して頂けると幸いです。
自然の草木、それも脆く簡単に乗り越えられそうなものが境界として人々に受け入れられてきたことは大変おもしろく、ここから日本人の独特な感性をうかがい知ることができます。
竹垣には大きく分けて2種類存在し、向こう側が透けて見える「透かし垣」と壁のように遮断する「遮蔽垣」があります。
四ツ目垣に代表される透かし垣は、空間を隔絶するのではなく仕切ることによって向こうとこちらの空間をより関連付け際立たせるような役目をもっています。
遮蔽垣も完全に遮断するわけではなく、素材が天然の竹なので所々隙間が空いていたり、向こう側の音や気配が感じ取れるものが多いです。
そんな軽やかでいて美しい、用と美を兼ね備えた竹垣ですが、今回の研修でつくる竹垣は今までの伝統を踏まえた上での新しい形のものでした。
今回の講習会でつくる竹垣は臥龍垣と疾風垣。
どちらも講師の先生が編み出した創作竹垣です。
竹垣には通常柱を2本以上必要としますが、1本しか使わない竹垣がこの世に存在します。
それは京都の光悦寺が本歌とされる光悦寺垣。牛が臥せている様に見えることから臥牛垣(がぎゅうがき)とも呼ばれるものです。
光悦寺垣の応用型に九頭竜垣(くずりゅうがき)というものもありますが、臥龍垣はそれをさらに応用していて、柱を1本も使わずに完成するところが特徴です。
縦にも横にも大きくうねり、立体感のある姿はまさに地に臥す龍のよう。
臥龍垣
写真ではわかりづらいですが奥にも手前にも大きくうねり、龍と共に轟く稲妻をイメージした乱れ組子と合わせて圧倒的な存在感があります。
この臥龍垣の美しさを損なわず、ショーガーデンなどの時に早く軽やかに仕上げられるようにしたものが疾風垣です。
疾風垣
軽やかに宙を舞う風の動きをイメージしています。
どちらも竹を扱う高度な技術が必要で、先生の目にもとまらぬ竹さばきにはただ脱帽するばかりでした。
竹を自由自在に曲げるためにはmm単位で竹を細割りする必要があるのですが、これが本当に難しくまさに職人技といった感じです。
私は少し竹細工をかじっていたため先生の助けを借りながらもなんとか割ることができましたが、これは熟練の技があってこそだなと思いました。
つくり方は企業秘密ということで皆さんにお教えすることはできませんが、この新たな竹垣を作りだすまでの苦労と努力がとてつもない熱量を孕んでいることは想像に難くないと思います。
研修を始める前に座学の時間があったのですが、先生の70過ぎだとは思えない言動に面食らいました。
50年以上も庭師として経験を積み重ねてきて、今もなお新たな庭をつくりだすという気概に満ち溢れているのです。
「平成の庭」とはなにか?というお話しの中で、先生はそのテーマのひとつは「かわいい」だと仰りました。
このとき私は先生の話に無我夢中になりました。なぜなら私も幾度となく「かわいい」に着目していたからです。
70過ぎの男性。それも職人が大勢の前で「かわいい」と声を張る。
これってかなり勇気のいることだと思いますが、この人は本当にすごい人なんだと確信しました。
研修初日の夜、焼肉屋さんで懇親会が行われ、職人としても人としても学ぶべきことがあると思いお話しさせて頂くことに。
「雪の降り積もった日本庭園に、かわいいと感じるんです。」
という私なんかの若造の話しに「それいいじゃん!」と本気で考えてくださったり、竹垣の結びにひとつトンボをつくることでかわいさがでると、トンボの結びかたを教えて下さったりもしました。
家でしっかり練習しています
実は疾風垣の研修を受けたのは今回で2回目で、去年の8月にもつくらせて頂いたことがあります。
先生に教わったのがきっかけで竹の魅力に目覚め、竹細工などに手を出すようになったのです。
2日目の帰り際、あれからここまでできるようになったと先生へのお礼も込めて即興で竹ひごを引いて花かごをつくってみることにしました。
あまりに急いでつくったためお世辞にもきれいとは言えない出来でしたが、「プレゼントしてくれ!」と言ってくださった時は本当に嬉しかったです。
臥龍垣や疾風垣などの素晴らしい作品は、先生の人柄があってこそ生み出されたものだと思いました。
以上、なんだか手紙のような内容になってしまいましたが、これにて終わります。
先生のように職人としての技術とチャレンジ精神、人としての器のでかさはどこまでも追い求めていきたいと思います。
記事・・・飛田亮