突然ですが皆さん、日本庭園は好きですか?
日本庭園といっても様々な景色が頭に思い浮かぶと思います。
大きな池と築山がある大名庭園や、禅寺の方丈にある枯山水、はたまた茶庭の露地などタイプは違えどみな日本庭園といえます。
実は私、結構な日本庭園マニアで自転車日本一周中には各地の日本庭園を見て回った経験があります。
さて、そんな私が今回お話ししたいのが、現代における日本庭園の重要性です。
自然や文化、歴史といったものが蔑ろにされてきたこのおよそ100年間ですが、それ故に日本庭園は私たちが忘れてしまった大切ななにかを気付かせてくれるかけがえのない空間となりました。
そんな日本庭園の魅力や、文化や歴史の重要性、私の思うこれからの日本庭園の在り方等をお伝えしていきたいと思います。
とくに大都市など緑が著しく少ない場所では、かけがえのない空間です。
古くから日本人に親しまれてきた花や樹木が植わっているため、昔ながらの四季のうつろいを楽しむことができます。
春夏秋冬それぞれに違った表情を見せてくれる庭園は、毎回訪れるたびに違った発見があるかと思います。
植物もさることながら園内に住まう小動物や池の魚、昆虫たちも散歩する楽しみをプラスしてくれます。
まるで深山幽谷の趣を楽しめる庭園もありますので、自然を感じたい方には間違いなくおすすめです。
自然を楽しむには公園でも十分かもしれませんが、手軽に伝統美や日本文化に触れられるのが日本庭園の最大の魅力ではないでしょうか。
園内の石組みや樹木の配植などには日本人の精神性を垣間見ることができます。
歴代庭園を守ってきた職人たちの剪定技術や、竹垣や枝折り戸などの構造物にも日本伝統の技が光ります。
庭園に付随する建造物も大変貴重で、茅葺き屋根の東屋など日本ののどかな原風景を想起させる仕掛けも満載です。
園内に置かれた石灯籠や手水鉢などの石造品にはそれぞれの由縁があり、長い歴史を物語ります。
日常の喧騒から離れて、心を落ち着かせたいときに日本庭園はぴったりの場所です。
一旦気持ちをリセットして、鳥のさえずりや小川のせせらぐ音を聞きながら自分と対話する時間を大切にしましょう。
禅寺に行った際は枯山水を前に心を無にして瞑想するのもおすすめです。
私は白砂の余白に吸い込まれるような気分になり、まるで心が洗われたようなスッキリとした気分が好きです。
日常の中に余白の時間をつくることで、目的意識がはっきりとし物質社会に惑わされにくくなります。
自然、文化及び歴史、そして自分自身。
現代人が日常に追われ忘れてしまいがちなことを、日本庭園はゆったりとした時間の中で気付かせてくれます。
ぜひ機会があれば日本庭園に足を運んでみてください。
義務教育でそう教わったから。教科書に載ってたから。
それだけではちょっともの足りないですよね。
答えは簡単です。人が幸せになるためです。
教科書に載ってる文化や歴史なんかは上辺だけのデータなのであまり重要じゃないのですが、大事なのは実際に生身で触れてみることです。
その点海外を旅することは他国の文化や歴史を嫌というほど体感できるので、自国への関心もより深まるいいきっかけになります。
そうしたら自分の生きる目的に合わせて、文化・歴史を探っていく。
それも日本史や世界史すべてを解読するのではなく、自分の好きなポイントや生きる目的の為になるポイントを見つけて自分なりに解釈すればいいのです。
各々の生きる目的にもよりますが、ここで多くの人が現代社会とのギャップに躓くかもしれません。
なにせ古き良き日本文化のもついいところが、現代の資本主義社会ではまるで通用しないからです。
かといってグローバル化が進んだ世界で再び鎖国するなんて不可能ですし、アメリカ式の資本主義を現状のまま鵜呑みにしていても国民性の異なる日本人が幸せになれるとは思えません。
なので、平安時代の日本人が大陸から伝わった漢字をそのまま使わずひらがなを生み出したように、「日本化」する方法を探っていく。
その為にも文化・歴史は重要なのだと私は思います。
日本庭園史において最も大きな功績は千利休がつくった茶庭でしょう。
利休の時代で日本庭園は完成したといっても過言ではありません。
その後茶庭を含めた様々な様式の日本庭園を融合させた大名庭園がつくられ、現代においては里山の風情をつくり出す雑木の庭、海外のモダニズムを取り入れた和モダンの庭などがつくられてきました。
これらの庭が後世日本庭園と呼ばれるかはわかりませんが、果たしてこれからの日本庭園とはどんなものでしょうか。
この話をするにはそもそも何をもってして日本庭園なのか?を説明する必要があるのでちょっと大変です。(笑)
以前、竹垣の研修に行った内容の記事に書きましたが、これからの日本庭園のテーマのひとつは「かわいい」である、と講師の先生がおっしゃいました。
私が思うに「かわいい」というのは日本独特の感覚で、他にも「をかし」「もののあはれ」「やつし」「わび」「さび」などが挙げられます。
そしてこれらの感覚に共通するのは「間(ま)」であり、大抵時間や空間の余白で表現されることが多く、「不足の美」と呼ばれます。
この間を感じさせる仕掛けが園内に散りばめてあれば、様式を問わず日本庭園と呼んでもいいと私は思っています。
しかしこれは形として目に見えるものというより感覚的な要因が強いので、見る側の力量も問われるため、そこのハードルを如何に下げるかというのが難しいです。
「かわいい」や「をかし」は形のある要素が強くわかり易いため、講師の先生が「かわいい」を選んだのにも納得がいきます。
こういった和洋などの様式に囚われず、様々な素材を使いつつも形式ではなく感覚を重視する庭づくりができたらおもしろいと思います。
そしてここからはもう私の妄想なのですが、利休のような天才が現代に表れ、現代人のニーズにあった茶道に取って代わるようなインスタレーションを発案し、それに付随する間を感じさせる空間をつくり出す。
そうしてできた庭は、もはや今までの庭とはまるで形が違うかもしれませんが、そこに間が介在するなら新たな日本庭園と呼ぶに値するのではないでしょうか。
以上、日本庭園について少々熱く語ってみました。
利休が現代の庭園を見てなにを思うのか、私はとても気になります。(笑)
記事・・・飛田亮