突然ですが皆さん、夢窓疎石(むそうそせき)をご存知でしょうか?
鎌倉時代末〜南北朝時代〜室町時代初期に活躍した禅僧です。
日本庭園の歴史を辿っていると必ず名前が出てくる人物ですが、この人めちゃくちゃ凄いんです。
何が凄いって京都の天龍寺や西芳寺(苔寺)、南禅寺南禅院などの名園を作庭した張本人ですし、あの金閣寺・銀閣寺の庭園も夢窓疎石の影響を色濃く反映しています。
今京都で人気のある庭園たちは、彼がいなければ存在しなかったといっても過言ではありません。
今回はそんな日本庭園を語るうえでは欠かせない。いや、日本人なら知っておくべき夢窓疎石について紹介していきます。
1275年に伊勢に生まれ、少年時代は甲斐に移って平塩山で修行し真言宗や天台宗を学びます。
18歳の時に東大寺で受戒し、20代の頃に京都建仁寺で禅宗を学びその後鎌倉の禅寺に移ることに。
鎌倉の建長寺で、正統な中国禅を教える元の渡来僧・一山一寧のもとで頭角を現し一躍トップに躍り出ます。
しかしなぜか建長寺を離れ、日本的な禅を教える鎌倉万寿寺の仏国国師こと高峰顕日のもとで学び、印可を受けます。
その後は各地を放浪し、郷国に帰りもしますが仏国国師が倒れると北条執権政府がそのあとがまとして夢窓を鎌倉に迎えます。
しかし長続きせずまたも遍歴の旅に出て、夢窓が50代のころ鎌倉幕府が崩壊し南北朝時代に突入します。
先が読めない時代になり、南朝の後醍醐天皇からも北朝の足利家からも教えを請われ、7度にわたり国師号を歴代天皇から賜与され、七朝帝師とも称されます。
このような日本史上類を見ない功績を残した高僧で、1351年、76歳で亡くなっています。
遍歴の旅と共に夢窓が作庭してきた主な庭を紹介していきます。
岐阜県多治見市にある臨済宗南禅寺派の寺院です。
楚音岩という巌をくり抜いて水路を作り、滝を落として池としました。
池の中央には無際橋が架かり、この風景を上方より俯瞰できる座禅石が配されます。
神奈川県鎌倉市にある臨済宗円覚寺派の寺院です。
岩盤を掘って座禅窟をつくり、池を掘る際あえて掘り残すことで中島をつくった「岩庭」として知られています。
山梨県甲州市にある臨済宗妙心寺派の寺院です。
夢窓疎石がつくったとはっきり判明している初めての庭です。
ただし江戸時代に大掛かりな改修工事が入ってしまっているため、当時の姿は見れなくなっています。
京都市左京区にある臨済宗南禅寺派の大本山、南禅寺の別院です。
水を引いて滝を落とした池泉回遊式庭園で、後の西芳寺、天龍寺の原型とも言われています。
京都市西京区にある臨済宗の寺院です。
広大な池泉回遊式庭園で、上段には石が組まれ枯山水となっています。
今では100種類以上の苔が生える苔庭として人気があります。
京都市右京区にある臨済宗天龍寺派の大本山です。
嵐山を借景とした池泉回遊式庭園です。
後醍醐天皇を弔うためにつくられ、龍門曝の滝石組には後醍醐天皇を象徴した鯉魚石が見られます。
さて、ここからが本題です。
足利直義の質問に夢窓が答えたのをまとめた「夢中問答集」という書が存在します。
その中には夢窓の庭に対する思いが語られている訳ですが、これがかなり興味深い。
夢窓は庭のことをよく山水と呼称します。
山水画で知られる山水ですが、自然全体の景色という意味も含みます。
夢窓にとっての庭とはありのままの自然そのものであり、庭に座禅石を配することで禅の修行のための深山幽谷の世界を自らつくり出してきたのでしょう。
そんな夢窓が、問答集の中で世間に蔓延するいくつかの庭について否定的な描写があります。
簡単にまとめると、皆がやっているようにセオリー通りに築山をしたり、石を立てたり、木を植えたり、水を流すなどして自分では良いと思わず他人に「良い感じ」と言われたくてつくる庭や、
物欲のまま珍しいもの欲しさに奇石奇木をより集めて作る庭は山水を愛しておらず「浮世の塵」を愛しているといいます。
あるいは世間に疎く山水に没頭する風流人がつくる庭でも、求道の心がなければ「妄執に固執し輪廻する基」になるといい、
仏道修行のために山水を頼りにしているものさえも、「仏道」と「山水」を差別しているから真の仏道修行者とはいえないといいます。
では山水に厳しい夢窓が考える真の山水の在り方はなにかというと、
山河大地、草木瓦石、ありとあらゆるものすべてを皆 「自己の本文」だと信じることだといいます。
誠に禅的で難しいのですが、山水とは自分自身であり、ありのままの自分の心がうつるものなのです。
そして夢窓は「山水には得失なし、得失は人の心にあり」と言います。
人は何かにつけて損得で物事を図りがちだが、自然は常にありのままで惑わされることがないという意味です。
この教えを具現化させたものが、天龍寺の曹源池庭園なのだそうです。
以上、夢窓疎石について書いてきました。
他にも書きたい事はたくさんありますが、尺が長くなりすぎるのでこの辺にしておきます。
こういったバックボーンが解ってより楽しめる庭もあると思うので、ぜひ歴史上の作庭家たちにも関心を持ってみてくださいね。
記事・・・飛田亮