冬の風物詩の一つである、雪の降り積もった日本庭園。
いつもの庭園とはまた違った一面を見せてくれる雪の庭は、私たちの心を惹きつけてやみません。
それは何故か。
もちろん純白の雪化粧が美しいからなのですが、細かく分析していくとそれは日本人独特の感性が起因しているといえます。
今回は、雪の日本庭園を目にしたとき湧き上がる日本人の美意識について考察していきます。
言はずもがな、庭とは人がつくるものです。
日本の庭はかつての利休の時代には「市中の山居」と形容されたように、深山幽谷の大自然の景を凝縮し模したもの。
しかし、いくら模倣しようともあくまで人の手によってつくられるものなので「自然風」の域を超えることは難しい。
だからこそ、そこには強い自然への憧憬が込められてきました。
しかし雪が降り積もることによって、あちこちに見え隠れしていた人の作為が覆い隠される。
雪という自然現象の力によって、作為は消え去り純真無垢なありのままの景に生まれ変わるのです。
それはありのままの自然と共生したいと願い続けてきた日本人の悲願が成就された瞬間と言えるかもしれません。
墨の濃淡と余白のみで構成される水墨山水の世界。
鎌倉時代、禅と共に日本に伝わった山水画は禅宗の興隆とともに次第に日本化していき、枯山水の石庭がつくられるきっかけにもなる伝統芸能への道を辿っていきました。
雪の降り積もった日本庭園はまさに幽玄な山水画の世界そのもの。
そこには白と黒の冷え寂びた風景が広がるばかりです。
そんなリアルな山水の世界に浸っていると、日本人の美意識の底流に流れる禅的な美意識が研ぎ澄まされていきます。
侘び寂びや枯れ、やつしといった引き算の美意識は禅文化から沸き起こったもの。
現代の物質社会では感じるいとまのないそれらの美意識が甦り、人生において忘れてしまいがちな大切なことを教えてくれます。
日本の美意識のうち、現代の暮らしにもっとも息づいているものの一つは「かわいい」という感覚かもしれません。
やたらとかわいいと口にしたがる私たちですが、そのルーツを辿ると平安時代の「をかし」や「もののあはれ」に見ることができます。
かわいいとは不足の美。どこかが足りていない、その隙間に感じる趣や面白さに私たち日本人はとても敏感にできています。
そんなかわいさが、雪となって日本庭園に舞い落ちる。
日本庭園といえばどちらかというと格式高い、厳かな雰囲気がありますよね。
恐らく迫力のある石組みや石灯篭などの添景物のおかげかと思いますが、それらに雪が積もるとどうなるか。
まるで白いふかふかの帽子を被っているようで、どんなに厳めしい表情の石もかわいく見えてきてしまうわけです。
普段とは違うギャップ萌えにも近しい、かわいいもの好き日本人のお眼鏡にかなった様相を繰り広げてくれるのです。
以上、雪の日本庭園に対する日本人の美意識について考察してみました。
他にも、枯山水や神社の神域を表す白砂の空間。あのイメージを雪の庭園に重ねて神聖で清廉とした空間に感じるから、といったようなことも考えられます。
なにはともあれ、雪化粧の庭ほど美しいものはありません。
是非皆さんもこの冬、雪景色の庭園にて思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。
記事・・・飛田亮