近江庭園のお庭トーク | お庭づくりに技術と情熱を込める庭職人のストーリー

改めまして

作成者: 松本 友香里|2019年1月13日

こんにちは。

今週から月曜日もブログを書くことになりました。変わらず金曜日もブログの更新は続けていきますので、皆さんに読んで頂けるのが週に二回になります!どうぞよろしくお願いします。

今までブログを一緒に書いていた平木はといいますと、近江庭園が運営している山野草のオンラインショップでブログを書くことになりましたので、こちらもよろしければ是非お読みください!

私は移動の時などに琵琶湖が見えると写真を撮ってしまうのですが、その写真を見返していると同じ湖の写真でも季節によってかなり表情が変わって見えるのがとても面白いなあと感じます。

このように一年を通してさまざまなことで季節を楽しむことが大好きな私たちですが、こちらのブログでもたびたび紹介している二十四節気や七十二候といった暦は何故生まれたのか皆さんご存知ですか?今回は仕事のことから少し離れて、こちらのことについて書いていこうと思います。

 

古来から暦は人々にとって季節を知るための大切なものでした。「二十四節気」とは日本では平安時代から使われている暦のことで、もともとは古代中国で農業の目安として作られたものです。中国の元々の暦は「太陰暦」と呼ばれる月の満ち欠けを基に考えられたものを使っていましたが、月の満ち欠けだけを見ていますと実際の季節と暦上の季節が段々と合わなくなってきてしまい、農業や狩猟をする際にとても不便でした。そこで、太陽の動きを元に一年を24等分した二十四節気を作って農業の目安にしたのが始まりです。

太陽が一番長く出ている日、一番短く出ている日、そして昼夜が同じ長さの日、という夏至・冬至・立春・立秋がつくられ、これらをそれぞれの季節の真ん中とし、更に季節を細分化していったものが二十四節気になります。

七十二候は二十四節気が15日間隔ほどになりますので、それをもっと短く5日間隔にしたものが七十二候です。

その他にも日本には中国の二十四節気では表しきれなかった「雑節」というものが存在し、彼岸や八十八夜、土用などは現在でも行事として残っています。

 

現在の私たちの生活にはカレンダーがあり、きちんと日にちを知る術がありますが、それが無かった時代にはこの二十四節気や七十二候で季節を知ることがどれほど生活において重要だったか。

私たちの生活において、この二十四節気が使用されるということは現在では殆どありません。昔の人々も初めはこれを季節の訪れや季節を楽しむために使っていたわけではありませんでした。ですが、せっかく現在まで残ったこの暦という文化。四季を愛でる文化が強い日本の人たちにもっと愛され残していくべきものではないかと感じます。

私の恩師の言葉で「季節が風景になるような」という文言がありました。私たちも日々自然や緑に触れる仕事をしています。暦や旬のものなどを知り、それを活かしてもっと身近に季節を肌で感じられる庭造りができるようになりたいものです。

私が撮影した季節の琵琶湖の写真と共にお送りしました。これから月曜日もよろしくお願い致します!