2015/10/25

海外と比較することで見えてくる!日本文化のおもしろさ〜「建築」編・後篇〜

前回、日本が木造建築の歴史を歩んできたことと、襖や障子などの境界を例に、日本の建築は朽ちては建て直すことが前提の「仮設的」であることがポイントだとお話ししました。

今回はその仮設性について、古来の国民の文化や思想が最も表れているだろう宗教建築を通してお話ししていきます。

↓前回の記事↓

[blogcard url="http://www.gardenporter.com/blog/2015/10/18/20151018101856/"]

自然に囲まれる神社

キリスト教の協会、イスラム教のモスク、 ヒンドゥー教の寺院、仏教の寺院、そして神道の神社。

実際にそれぞれ訪れて見ると、祈りの場で自然が重要視されているのは仏教と神道であることに気づきます。

そしてそれはどちらも日本に根付いている宗教です。

仏教はブッダが菩提樹の下で悟りを開いたこともあり、自然との繋がりを強く説いています。

特に日本の禅宗はお寺に枯山水や庭園をよくつくりますが、それは自然にこそ仏性が宿るという考えのもとです。

それでは神道はどうでしょう。

ここで思い返して欲しいのですが、神社って大体森の中にありませんか?

流石に都内の神社で森に囲まれているものは少ないかもしれませんが、必ず樹木が植わっているはずです。「御神木」というやつです。

樹木ではなく石がまつられているケースもありますよね。「磐座(いわくら)」といいます。

そしてこの御神木や磐座には「注連縄(しめなわ)」が巻かれています。

どうでしょう。神道が自然を重要視していることはなんとなく分かると思いますが、あの森や御神木、磐座や注連縄は一体何を表しているのでしょうか?

御神木

f:id:GardenPorter:20151023184707j:plain

神社の正体は森

意味がわからないタイトルだと思いますが、違うんです。説明させてください。

神社は「社(やしろ)」ともいいますよね。そして「杜(もり)」とも読みます。

神道は自然崇拝ですから、神社が作られる前から自然を神として信仰していました。

そして神が宿るとされていた石や樹木が分かるように印をつけました。それが御神木や磐座、注連縄の起源です。

ここでミソなのが、宿ると「されていた」というところです。日本の神様は西欧のように永久的にそこに存在するものではなく、来ては去っていく、去来するものなんです。

ですから、神が来るとされていた時だけ人々は祭壇や社をつくって祭りをし、去る時には全て壊すということを繰り返してきました。

その名残で伊勢神宮では今も20年に1度、社を建て替える「式年遷宮」が行われていますよね。

要するに何が言いたいのかというと、古代の日本人が重要視していたのは、建物ではなく空間そのものだったということです。

普段は何もないけれど、たまに神が現れる空間。そんな空間を意識してきたからこそ、日本人は「間」に敏感な習性をもつことになったのでしょう。

日本人が感じる「間」の根源はここにあると私は思います。

f:id:GardenPorter:20151023185157j:plain

神社の結界

以上、今まで間についていろいろ書いてきましたが、今回は核心的な間の根源について書いてみました。

正直、私が研究してきたことはもうほとんど書ききってしまったので、また新たになにか発見したら、続きを書いていこうと思います。

こんなよく分からない話しに付き合って頂きありがとうございました!

記事・・・飛田亮

山野草の初心者も安心のネットショップ“GardenPorter”(ガーデンポーター)は、9月11日にリニューアルオープンいたしました。

よろしくお願いいたします。

投稿者: GardenPorter

おすすめ記事