今回で4回目になる「日本文化のおもしろさ」シリーズですが、もうそろそろお終いになるかもしれません。
そもそもこのシリーズを始めた理由は、皆さんに日本文化の根底にある「間」に気づき、おもしろいと感じて欲しかったからです。
今回の建築編では、建物の外と中の「境界」について書いていきます。
「境界」とは、何かと何かのあいだにあるもの。文字通りそのまま「間」です。伝えたいことの核心なんです。
ですのでこれを書いたら、伝えたいことの全てを書ききってしまうかもしれません。
まあ重っ苦しい前置きはこれくらいにして、軽〜く読み流してくれれば結構です。
それでは始めます。
木造と石造
みなさんご存知の通り、日本は木造建築が主流の国です。
その理由は材木に恵まれた気候だったからというのもありますが、このシリーズ第一回目の「庭園編」でお話しした、神道の自然を敬うアニミズムの思想も関係しているといえます。
例えばそれは日本の伝統技術、「木組み」に現れています。
決して木材に釘や金物を使わない。木を殺さずに組んでいく工法は木に生命が宿っているからこそではないでしょうか。
そしてそんな生命と共にありたい、自然と共生したいという意志の表れだと思います。
その結果、建築と外の境界があいまいで開放的な空間が生まれました。
外と中の中間に位置する「土間」や「軒下」がいい例ですね。
家の中なのに外、外なのに中というような空間です。
一方西洋は石造の文化です。
西洋では石を使うことで建築に完全性や永久性を求め、人間と自然を切り分ける文化が生まれました。
日本では石は墓石や古墳など、建造物では生死の境界として使われてきました。
日本神話の岩戸隠れの伝説では、アマテラスが天岩戸に引きこもると世界が闇に包まれ様々な悪いことが起こったとあります。
古代日本人にとって、石は生きている人間が住まうものでは無かったのです。
透かす境界
そんな開放的な日本建築では、内部の空間もまた完全に仕切ることをしませんでした。
日本建築で用いられてきた仕切りを挙げるなら、襖や障子、格子戸、すだれ、欄間、ついたてや屏風といったところでしょう。
妙心寺・退蔵院のモミジ入りの障子
外部の空間では竹垣や生垣も使われてきました。
これらの仕切りは総じて、隔てた向こうが透けて見えたり、音や影などの気配を感じとれるものとなっています。
代々そういった日本家屋での生活を通して、周りの人々や自然と協調する「和」の習性が日本人に根づいてきたのだと思います。
そしてこれらの素材は全て植物由来であり、西欧の石とレンガの仕切りと比べると脆く儚いです。
ですがそれは朽ちては建て直すことを前提とした、「仮設的」な考えに基づいてつくられています。
この「仮設的」というのが大きなポイントで、また次回の後編でじっくり話していきますので、お楽しみに!
記事・・・飛田亮
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