2015/09/26

わびさびってなんだろう?日本文化を取り巻く「間(ま)」についてのお話

今回は以前の記事で深く話したいと言っていた日本文化を取り巻く「間(ま)」についてお話しします。


「間」とは

仲間、昼間、間合い、間違い、間抜け、間延び、間取り、茶の間、床の間、一間、時間、空間、そして人間。

「間」のつく日本語って意識してみると結構多いことに気づきます。

それだけ馴染みの深いものなのでしょうか。間とは一体何なのでしょうか。

間には実体がありません。それ故に捉えづらい。間隔、隙間、余白、余韻。なにかとなにかのあいだに挟まっているスペース。それが間の正体です。

また実体がないだけに、間には次元の壁がありません。

山水画の余白、枯山水の白砂の空間、能楽の一瞬静止する時間。

日本の伝統芸能には、必ず間が見え隠れしています。

日本人は「間」になにを感じるのか

そんな間に、私たちは何を感じるのでしょうか。

あえて見せない。あえて描かない。あえて言わないことでなにが起きるのか。

例えば日本庭園の技法で、灯篭や滝などの主要なポイントにあえて樹木の枝をかぶせることがあります。灯障りの木や飛泉障りの木と呼ばれるものです。

そうすることで奥ゆきを持たせる。遮ることで無限の想像力を働かさせる。それを「幽玄」と言ったりします。

このような否定をもって肯定するといったことが日本では度々行われてきました。

その背景には間を語るうえで欠かすことのできない「禅の思想」が絡んでくるのですが、その辺りのディープな話はまたの機会にしておきます。

とにかく日本人は無から有を感じ取る、繊細な感覚を持ち合わせているのです。

時間の「間」、わびさび

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カンボジアにある「タ・プローム遺跡」

わびさびとは意外と多く耳にする言葉だと思うのですが、一体何なのでしょうか。

あくまで感覚の言葉なので一概にはいえないのですが、私は時間の「間」だと考えています。

例えばもの静かな神社やお寺、遺跡や廃墟を訪れた時、まるで別世界に来たような感覚に陥りませんか?

自分たちが普段過ごしている時間軸とのギャップが「間」となって、わびさびを感じさせるのだと思います。

そして色あせたものに悠久の時を感じる日本人の感性が、他国にはない日本独自の文化を発展させた理由の一つだと思います。

そんな感覚を、私は山野草にも感じるのです。

もの静かに佇む姿に、郷愁の思いが湧きたちます。

みなさんも日本の素晴らしき文化「間」を、山野草と共に味わってみてください。

記事・・・飛田亮

山野草の初心者も安心のネットショップ“GardenPorter”(ガーデンポーター)は、9月11日にリニューアルオープンいたしました。

よろしくお願いいたします。

投稿者: GardenPorter

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